声の呪縛を解き放つ・・・!
こういう厨二っぽいのいいですよね^^
今日も発声ネタです。
合唱をやる方も、ソロで歌う方も、初心者から上級者まで・・・声で歌うことをやめる勇気が必要です。
「???」となるでしょうか、「あー、なるほどね」となるでしょうか。
「???」の人は、とても大事なことなのでよく読んでくださいね。
私が器楽出身だからかもしれませんが、声楽は”息の芸術”であると理解しています。「歌う」という概念は、どこか自意識を伴う行為のように思えますが、そうではなくて、”楽器に息を吹き込んで”、”演奏する”という風に認識をするべきです。
すなわち、私たちが考えるべきことは、楽器の形(フォーム)を適切に作ること、そして、その楽器への息の吹き込み方です。どんなに難しいフレーズ、あるいは高音も、結局これです。どう楽器を作ればいいのか、そして楽器へどう息を吹き込めばいいのか、これを勉強するのが声楽です。(と私は理解しています)
だから、私のレッスンは最初から最後まで呼吸法ですし、師匠のY先生のレッスンもそうです。
しかし、私もそうであったように、初級~中級くらいの方は、声で歌うことと息で歌うことの区別が付かないように思います。声で歌っている人は、楽器のフォームが崩れ息の方向がバラバラなので、絶対にどこかに力みが生じます。もしかしたら、本人はそれをある種の”手応え”として好意的に受け取っているかもしれません。だから、超天才と呼ばれる人種でなければ、独学で声楽を学ぶことは不可能です。しかも、持ち声に恵まれていると、この種の発声でもそれなりに評価されることがあります。正直音大生どころかプロでも声で歌ってお金をもらっている人がたくさんいます。その辺でやっているリサイタルの類を覗いてみれば、ほとんどの人がそうですよ。悲しいですが、日本声楽界のレベルはそんなものです。
でも、Y先生は声では歌わせません。私も生徒には声で歌わせません。楽器のフォームを叩き込んだ後は、ひたすら息のルートの調整作業です。めちゃめちゃ地味です。曖昧なイメージ論はそこには存在しません。。。
これは、最初は難しいレッスンになるのですが、一度コツを掴むと非常に上達が早いです。急がば回れ、なんでしょうかね。
ちなみに、私がY先生にベルカントの呼吸法を教わったときに、Y先生は、「この発声はマリア・カラスの時代の歌い方だけど、今はこうやって歌っている人はほとんどいない」っておっしゃってました。私は不遜にも「なんで先生はそんな発声をご存知なんですか?」と質問したのですが、「イタリアで勉強したときに、テノールの先生に教わった」そうで、そのテノールの先生いわく「この発声はもう失われているので、教えられる人は私の他に知らない」だそうです。
そりゃ大げさが過ぎないか?と思いますけど、確かにこの発声をしている人はなかなか見ません。そして、Y先生にこの発声を教わってから、色々な音源を聴いてそのクオリティの差がとても気になるようになってしまったのです。
私はリートを中心に聴きますが、この発声をしているのは、例えばテノールのフリッツ・ブンダリッヒ。それから、鉄板のディースカウ。ただ、ディースカウは言葉と表現に相当振っているので、純粋な発声面ではブンダリッヒの方が参考になります。
声はめちゃくちゃいいのですが、ときどき暗い音色(Eの母音が多い)を好んでしまうのが惜しいと思うのが、ロシアのバリトン、ホロストフスキー。まぁこれだけ声が良けりゃ何でもアリなのかとも思いますがw
あ、バスのシエピもこの発声ですね。これぞベルカント!
この世界、自称ベルカントが横行してますが、私は本物を追及していきたいと思っています。