職場合唱団練習(10/17)
今回の演奏曲目の1つにラターのアンセム集があるのですが、火曜日はその本番前最後の練習でした。
私はラターの作品に詳しくありませんが、この曲集を見る限り、声楽の人ではないのかなと思います。特に高声部に使われている音域がかなり低いです。ユニゾンならまだしも、ソプラノパートソロでなぜこの音域・・・?という感じですね。
バスバリトンの私としては、やや高めの適正音域という感じです。
歌詞は英語ですが、声楽の手ほどきを受けていない人にとって、外国語を歌うのは困難なようですね。本来、外国語も日本語もやるべきことは同じなはずなのですが、上手くいかないようです。
特に私にとって意外だったのが、子音を外した母音唱で歌うように指示があったとき、大抵の人が歌えなくなったことです。
私は歌うときには常に言葉の母音を正しいポジションに浮かべるように考えてますから、母音唱について何の苦もありません。それができないということは、歌うときに母音に対して無頓着であるということの証左です。
つまり、単語を子音+母音と認識しておらず、”単語のイメージ”として認識してしまっている。そもそも歌うことの概念を間違って捉えているわけですから、その状態で音程だリズムだとやっても上手くいかないのはある意味当然のことです。
私たちは楽器なので、単語のイメージを歌ったってしょうがないです。母音を歌った先にイメージを載せるようにしていかないと、演奏が自意識の塊になってしまいます。つまり、自己満足に終わります。
・・・まぁここではこう書けますけど、こういう話をしても単なる合唱愛好家の人には理解してもらえないでしょう。
私は団内では五月蝿いことは言わず、自らの声で見本を示すようにしています。